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三城連合自治会
加賀野の 後藤 祐乗(ゆうじょう) について
加賀野の八幡神社の自噴井は、岐阜県の名水に選ばれ遠方から沢山の人が水を求めて来られるが、ここが、加賀野城の跡と後藤祐乗誕生の地の石碑に気づく人は、少ない。
ここに、その人の足跡を紹介します。
後藤 祐乗(1440〜1513)は通称四郎兵衛、名を正奥という。後藤氏は歴代加賀野城主を務めているが、祐乗の後藤とは、直接関係はない。ともあれ、この地に誕生したことは確かである。祐乗は生まれながらに彫刻を好み8歳の時に土で猿を巧みに作ったところ、大鳥が飛んできて捕らえ去ったと言われている。成長の後、足利将軍第八代義政に仕えたが、18歳のとき、有らぬ噂により獄中に下った。その時、獄士に請うて小刀と桃の木を得て紙興船14艘と猿60匹を刻んでみせた。獄士は、その出来映えに驚嘆してこれを将軍に献上した。義政もその妙技に感じいり刀剣の装飾(彫金)を作らせた。その技は精巧にしてみな生きている様に見えた。暫らくして彫鏤の家を興し剃髪して祐乗と号し法橋に叙せられた。下絵を狩野元信に求めてもっぱら彫刻に専念した。このことは、花園天皇のお耳にも達し宮中神秘の宝剣装具特に柄を命ぜられ法印を授かった。永正九年五月七日73歳で没した。
(後藤 勝美 記す)
写真: 刀剣などの彫金
後藤 祐乗誕生の地 後藤 祐乗の肖像画
我が家の井戸 小野 横幕利夫宅
加賀野の自噴井は、すごく有名になり、あたかも特定の場所になってしまった感があります。
私のような年配は、子供のころからみなれた井戸を特別なものと感じていません。
しかし、加賀野の自噴井に集まる人は名古屋からわざわざポリタンクをもってやって来られる。
おいしい水は、おいしい空気と同様に大切なものと気づきはじめたのでしょうか。我が家の井戸を写真に載せましたが、このような井戸は大垣地域には沢山残っています。とりたてて取り上げることもないくらいです。もっとも先代が掘ったものが大半で最近新たに掘ったものはめっきり減ってしまいました。
昔は、畑で取ったトマト、きゅうりを井戸で冷やし学校から帰ったときそのままかじったことを思い出します。一般に深い井戸は100間掘りといわれてどんな夏も枯れたことがありません。
おいしい水に生まれ育ったことにありがたいと思うこの頃です。
(小野 横幕 利夫 記す)