●赤坂港跡 赤坂町
中山道は江戸と京を結ぶ重要な道で、往古は多くの旅人でにぎわいました。
ここ赤坂の宿が宿場に指定される以前は、隣接した青墓が東山道の宿駅として利用され「傀櫑」(遊女)の宿場として特に有名でしたが、赤坂に杭瀬川の渡し場があって、青墓の宿からこの渡し場までの距離が離れていたため旅人の利便性を考え、渡船を待つ旅人のため赤坂に宿ができました。そのため青墓の宿場が衰退して、赤坂の宿駅がにぎわいました。
杭瀬川は昔は揖斐川の本流だったが、享禄三年(1530)の大洪水で水路が大きく変って支流になってしまい、河幅も細くなりました。しかし赤坂の上流の標高九百メートルの池田山から自然の湧水を集めて豊富な水量を有し、また港としての機能を十分に果たし、物資の搬入や搬出はこの港が重要な役割を果たして来ました。一時は三百隻の船が舫っていたと言われています。
このように、にぎわっていた港も大正八年八月、美濃赤坂線の開通にともない、合わせて昭和十三年に下流に水門が建設され、船の航行が困難となって
赤坂港も廃絶しました。
ともあれ渡し場から発展した宿駅、そして港もその役目を終わり今は跡だけが歴史を伝えています。
[あし]
大垣駅南口Aのりばから発車の近鉄バス、赤坂総合センター行きで赤坂港跡下車
(大垣市観光協会資料より)
●赤坂ボランティアガイドセンター
◎赤坂青墓の名所・旧跡をご案内いたします。
※一週間前の予約を原則としておりますが、人員の手配ができれば当日でもご案内します。
◎ガイド料:無料
◎090-8077-7023(折戸代表の携帯電話)
生活情報支援ネットワークと共に市民に活力パワーの創造を提供します。